ある再会の後で
院長エッセイ
一昨年の仲秋の頃、先の日本眼科医会副会長をつとめられ、最も歴史ある眼科病院の理事長である東京時代の恩師を、お供の方と雲仙の旅亭に迎えて、かつてのお礼をさせて頂いた。
乳白色の温泉と心が安らぐような庭園、そして、洗練された食事に感動しながら翌日も平成新山などを観光して、恩師のご満悦の様子を伺いながら、自分でも「最高の接待ができた。」と内心で自画自賛していた頃だった。
お見送りする直前に頂いたのは、丁寧なお礼の挨拶と共に、「そう言えば、『眼の成人病』」という一般向けの家庭医学書を、現在の最新の医療も盛り込んで、先生と共著で出版したいのですよ。」とのお言葉であった。
現在すでに、約30名近い医局員を抱え、多くの著名な眼科医との繋がりをもたれる恩師が、もう開業して9年にもなる自分を、なぜ共著者に指名されるのかとお伺いすると、旅先でも朝からジョグに励む姿を見て、“ファイトの塊”に見えたからだと言う。
そういえば、人を持ち上げて、目一杯働かせる事も非常にうまかった。恩師ご自身も、朝7時から夜11時までほぼ休みなしに働き続ける方であったが、人の能力を存分に発揮させ、無駄なく働かせる病院経営の神様でもあった。
お言葉をもらった時は、最終回に逆転サヨナラ満塁ホーマーを浴びた気分で、さすがに返事を留保したが、その後、後日手紙でも丁重に辞退しても、年末の休診中にも自宅まで直々に電話を頂くに及んで、さすがに引き受けることになった。
しかし、いざ執筆を始めようとしたものの当初は、なかなか筆が進まず、本当にまいってしまった。というのも、頂いた私の執筆項目は、「糖尿病網膜症」「白内障」「加齢黄斑変性」さらに、「レーザー光凝固治療」「眼と体によい生活習慣と栄養」の5項目で、いずれも最近新しい治療法が開発された分野や新知見が認められた領域のため、新たな勉強が必要になったためである。
この為、覚悟を決め、誘惑や雑用から離れ無心で集中できる空間を求めて、休日は県立図書館に通って、午前中から夕方まで、机に向かうようになった。文献や同類書を参考にしながら、基本的な自分のスタンスを考え、構成の項目に沿って浮かんだ草案をメモしながら、粗原稿を書き始めた。
誘惑や雑用からも離れ、無心で集中して取り組んでゆく濃密な時間のなかで、少しずつ執筆の仕事も進み、「やれる!」という自信に加え、小さな達成感が感じられるようになった。
今までの気分転換は、毎日のジョグに加え、温泉の小旅行や高校野球観戦、観劇やコンサート程度であったが、気分転換にはなっても、達成感と新しい自分を発見できるものではなく、これは新鮮だった。
そして、夕方5時に図書館が閉まると、その後は、隣の青年体育館のロッカーで着替えて江津湖の周囲を約1時間ジョグするのが気分転換であった。いつもの友人との運動公園でのジョグとは違って、小さな達成感を味わいながらの江津湖のジョグは、また格別だった。
冬は梅の花を見ながら「冬来たりなば春遠からじ。」を実感することができたし、春は桜花のトンネルの中を走り抜ける心地よさを感じることができた。
また、夏の江津湖に映える夕日も素晴らしかったし、秋の早い夕暮れも少し感傷的にさせてくれた。そして、いつも病診連携でお世話になっている病院のH副院長ご夫妻にもよくお会いできた。お二人で並んで散策されながら、静かに語り合うお姿は憧れの未来像だ。そんなジョグの中で、潜在意識の中から、ふと上手い校正案が湧き上がることも多かった。
昨年は、6月まで日本抗加齢医学会の専門医試験の勉強も兼ねており、ダブル勉強は自分にとって少しきつかったが、なんとか気合いと気力で乗り越えることができた。
また、頭に浮かんだ草案をテープレコーダーに音声で入力し、それを職員に協力してもらいワープロ打ちしていくディクテーション作業により、大幅に原稿の作成も捗り、本当にありがたかった。
執筆の過程のなかで、日常診療面でも解りやすいカラーの治療用クリティカルパスも作成することが出来た。さらに、手術方法にも新しい工夫を取り入れ、手技も僅かながら向上できた。そして、自分が心に描いた文章やアイディアが具現化され、多くの方々の眼病の啓発のために少しでも役立てることも嬉しい。そんな様々な思いの詰まった著書も、いよいよ9月中に発刊となる。
そして、現在は、別の出版社からイラストを多く用い、Q&Aシリーズや患者さんの体験集、また治療のエピソードも加えたさらに解りやすい2冊目の眼病の家庭医学書を執筆中である。
今後の厳しい医療情勢の中でも、患者さんに喜ばれ、自分も楽しく診療を続けられるよう、少しずつ勉強を続けたいと思っている。