むらかみ眼科クリニック MURAKAMI EYE CLINIC

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心のメダル

 夏の「甲子園」が終わり、秋も深まり、冬の訪れの中で始まる学生の三大駅伝は、10月の出雲での全日本大学選抜ロードリレー、11月の伊勢路での全日本大学駅伝、そして、正月の「箱根駅伝」であるが、全ては、最後の「箱根」に集約され、前二者は、ただの前哨戦といっても過言ではないであろう。20年程前に、テレビ放映されるようになってから、平均視聴率も毎年30%近くを維持し、全国で4000万人以上もが視聴するというこの「箱根駅伝」も、かつては、一部の熱心な駅伝と陸上ファンのものでしかなく、NHKラジオの実況中継が頼りであった。

私の学生時には、体育学部の長距離の選手達とも同じグラウンドで練習でき、学部の壁を越えて、練習方法のみならず、競技への姿勢や考え方までもを身近に学ぶことができ、今でも貴重な心の財産となっている。自分の場合、肉親との死別を契機に、その悲しみを忘れるように、ひたすら毎日走り続けて練習するようになり、毎月の走行距離も600キロを超え、恩師の沢木啓祐教授(日本陸連強化委員長)より、箱根駅伝合宿への参加を二度お許し頂いた。この「箱根駅伝合宿」は、心身共に苛酷な実体験であった。

練習と共に合宿所の中でも、大会前日に登録変更されて付き添いに回った選手達や合宿所の一台きりのピンク電話の前で監督からのメンバー交替の電話をじっと待ち続ける補欠の選手達に気遣いながら、出走する選手達の体調管理やサポートに努め、微力ながらチームの二連覇に貢献できたことは、人生の宝となっている。

あの時から25年が過ぎた現在でも、冬の訪れと共に「箱根駅伝」が恋しくなり、12月の下旬に登録メンバーと区間配置が発表されると、各校の戦力分析や補欠からメンバー変更で出走する選手を予想するのが楽しみだ。このため、前夜の元旦は、明日のレース展開を予想して寝付けないのも毎年である。 

昨年は、母校のチームが、往路優勝を遂げ、大差で復路の8区に入ったが、主将がまさかの大ブレーキを起こして、夢遊病者のような足どりで辛うじて9区に襷をつないだものの、総合優勝を逃してしまった。

この無念さを晴らすため、今年は、総合優勝に立ち合うために元旦に上京した。往路優勝を遂げた夜、箱根の母校の宿舎にも入って、監督とも対談することができた。自分が前夜考えた往路の変更区間と変更選手はすべて予想通りであった。復路も、6区(山下り)の変更区間は合っていたが、まさか6人目の4年生を投入するという監督の今年に賭ける決意には驚かされると共に明日の完全優勝を確信できた。

「箱根駅伝」で大切なことは、戦前からレースを想定しながら、前半は設定されたタイムを守りながら走って後半に余力を残し、後半は粘れるだけ粘って選手の力のすべてを使い切りながら、ブレーキなく20キロ余りを走り切ることである。

私も、かつての箱根駅伝の合宿時に、夢の中で走った7区(小田原→平塚間21キロ)の湘南路での快走をイメージしながら、日々の長丁場の外来診療も楽しく行うようにしている。

 当時は、メンバー入りも、そして、優勝メダルも遙か遠い彼方にあったが、現在の開業医生活の中でも、自分の力量に応じたテーマを決め、その小さな「心のメダル」に少しずつ近づいてゆく達成感と充実感が、私は好きである。

今年は、昨年の著書の出版に続き、さらに解りやすい2冊日の「眼の成人病」の解説書の粗原稿の執筆も終え、また、東洋医学会漢方専門医の更新のための症例報告集も完成させることができた。

また、今年の4月からは、母校・順天堂大学のスポーツ健康医科学の客員助教授として、栄養物質の摂取時の動体視力に関する研究に参加させて頂けることにもなった。

そして、今では走行距離もスピードも、かつての半分以下となったが、朝日を浴びながらの朝練2kmと夜の本練5kmのジョグを継続しているお蔭で、体調を維持でき、一度も診療を休まず、体重も競技生活時のベストより2~3kg重い程度だ。

今後の厳しい医療情勢の中でも、心身の養生と健康管理に努めながら、小さな「心のメダル」を追いながら、笑顔で楽しく、焦らず、開業医人生と研究生活のラップを刻んでゆきたいと思っている。