『私の人生最高の恩師への追想文』
院長エッセイ
人生において、恩師を持ち、人生の指針をご教示頂くことは、非常に幸せなことだと思います。
私には、人生最高の恩師がいらっしゃいました。
日本眼科医会前副会長で、日本の眼科病院として最も歴史のある、東京・井上眼科病院の故・井上治郎理事長先生です。
井上治郎先生の追想文を執筆致しました。
『人生最高の恩師に報恩感謝を誓って』
医療法人 湘悠会 むらかみ眼科クリニック
村上 茂樹
今も心に刻む先生の教え井上治郎前理事長先生は、私にとって、これまでの人生で、最高の偉大な恩師であり、今も先生の教えを心に刻みながら、日々の診療と人生を歩んでいる次第であります。
かつて、先生のもとで、5年間に渡り勤めさせて頂いた井上眼科病院において、常々、ご指導を頂いた治療方針に基づき、開業後も日々診療に励んで参りました。
すなわち、「常に患者さんの立場に立って親切に診療にあたり、患者さんに病状と治療方針をよく説明し、評価の定まった安全確実な診療を行い、あせらずに一歩一歩、休まず診療を続けていく」と言う教えを、日々実践して参りました。
そして、井上先生が朝7時から夜11時まで、ずっと連続して休まずに外来診療と手術を行われ、さらに、眼科医会の会議にも臨まれる姿は、今も私の心のスクリーンに焼き付いています。
そして、先生は、数多くの手術を行いながらも、常に「外来が診療の基本であり、外来をできるだけ休まずに診療することが開業医の使命である」と。
また、ある時には、「開業医は、所詮、中小(零細)企業である。
中小企業とは、常に先頭に立って、死にもの狂いで走り続ける人間がいなければ、その存続と発展は望めないものである」とおしゃっていたことも心に残っています。
同時に、「患者さんの眼の病気を治すのみならず、患者さんの心も治す」ということについて、よくご指導をいただきました。
すなわち、患者さんが失明の不安に陥ることなく、少しでも安心して治療に専念する心理状態を保てるよう必ず優しい救いの言葉を与え、心を安らかにさせ、そのうえで 治療を進めていくという点であります。
このような先生の教えを旨として、開業後の13年間を病気などでも休むことなく、日々診療に励むことができました。
より安全確実な手術を追求されてそして、「手術もやたらと多くの症例に手を出すのではなく、良く適応を選び、一例一例、確実に手術を行う。
一例でも悪い症例を作らないように術後の管理もしっかり行う。
」という教えを守り、開業後も無事に手術を実施して参りました。
さらに、手術治療での術前の慎重な手術適応の決定と手術後の入念なアフターケアの重要性についてもよく説かれ、同時に手術手技の面でも、より安全確実な方法で絶対に落第点をとらない手術を行うよう親身な指導を頂きました。
私の在職時は、白内障手術においても嚢外摘出術(ECCE)から水晶体乳化吸引術(PEA)に移行する時代でありました。
このため、まずECCEを確実に修得できるよう教えて頂き、その後、症例を慎重に選びながら、PEAを安全に修得すべく努めさせて頂きました。
このように多くのECCEの手術も実施した経験は、地方で開業した私が、今もなおよく遭遇する高度に進行した難症例の白内障に対しても、安全確実な手術を遂行する意味で、非常に役立っています。
同時に、白内障手術時の後嚢破損防止の技術についても、先生から直々に入念な指導を仰いだお蔭で、開業後も既に8200眼以上もの白内障手術を無事に実施でき、幸い重篤な合併症も経験せずに済んでいます。
しかし、「手術の評判は、口コミで広まるというが、良い評判には10人の新しい患者さんが付き、悪い評判には、100人の患者さんが来なくなる。
」と説かれた先生の言葉の重みを、開業後も、いつも思い出し、今でも常に認識しています。
さらに、手術後のアフターケアも、入念に行ってゆくことで、常々先生が説いておられた「患者さんともに歩み、患者さんとともに喜ぶ」という開業医の仕事の奥深さを、少し実感できるようになりました。
有難かった研究のご指導学会発表や講演についても、スライド原稿の構成のコツや主旨がよく理解でき、聞いて役立つ内容、そして聴衆に訴えかけることのできる話し方や原稿のつくり方に至るまで、先生から直々に、懇切丁寧に指導を頂きました。
研究テーマの選定についても、その研究の必要性と学問的価値を入念に勘案され、研究方法においては、その普遍性、客観性、再現性を特に重視されました。
先生のご指導のお蔭様で、在職中に数多くの学会講演と共に、学位論文や海外論文を含む多くの論文発表も行うことができました。
開業した後も、日本眼科手術学会や日本眼内レンズ屈折手術学会などで、よく講演させて頂きました。
さらに、一昨年の春より、母校の客員准教授も拝命後、約1年半の間に、英語論文2編と日本語論文3編の発表を含めた研究活動が、開業医の立場で出来たことも、これまでの先生のご指導とご教示の賜物であると感謝致す次第です。
先生との九州温泉地巡りの旅と共著書の上梓開業後しばらくして、先生へのご恩返しにと、8年程前に、ご多忙の中、早春の九州・大分の地にお招きして、名物のふぐ料理のコースとひれ酒をご一緒に賞味し、翌日は、高崎山の猿山見物と五つの温泉地獄巡りの見物をしました。
特に、温泉地獄巡りでは、血の池地獄や海地獄、ワニ地獄など、数々の地獄巡りを一つ一つ熱心に楽しんで頂きました。
散策中に、視界を被って湧き立つ地獄の湯気に、「これは、蒸気罨法にも使えますね!」などと、談笑したことも懐かしい想い出です。
この旅行の後に、先生のもとで、同時代に勤務してご指導を受けた有志の先生で、『恩師・井上治郎先生を囲む会』を、毎年3月の先生のお誕生日の頃に、楽しいお祝いの会として、東京都内で開催するようになりました。
さらに6年前には、先生を長崎・雲仙の旅亭にお迎えして、第二回目の九州温泉地巡りの旅をさせて頂きました。
雲仙の乳白色の温泉と心が安らぐような庭園、そして、洗練された食事に感動しながら、翌日も平成新山などを観光して、先生のご満悦の様子を伺いながら、わずかながらのご恩返しができたことを、何より嬉しく感じました。
そして、先生をお見送りする直前には、丁寧なお礼の挨拶と共に、「そう言えば、『眼の成人病』という一般向けの家庭医学書を、現在の最新の医療も盛り込んで、先生と二人の共著で上梓したいのですよ。」とのお言葉を頂いたのでした。
すでに、約30名近い医局員を抱え、多くの著名な眼科医との繋がりをもたれる先生が、もう開業して7年にもなる自分を、なぜ共著者に指名されるのかと理由をお伺いすると、「旅先でも早朝からジョグに励む姿を見て、”ファイトの魂”に見えたからだ」との由でした。
そういえば、昔から人を持ち上げて、目一杯働かせる事も非常にお上手でした。
先生ご自身も、朝7時から夜11時まで、ほぼ休みなしに働き続ける方でしたが、人の能力を存分に発揮させ、無駄なく働かせる病院経営の神様でもあられたのです。
それからも、再々の執筆のご催促を頂いたため、自分も意を決して、眼病の解説書の執筆に取りかかることにしました。
私の担当分野は、「白内障」、「加齢黄斑変性」、「糖尿病網膜症」、そして、「レーザー光凝固治療」と「眼と体に良い栄養と生活習慣」についての5項目で、画期的な新治療や新知見が進んだ領域でもあり、休日は図書館にこもって、文献を当たりながら執筆を始め、先生の激励を頂きながら、どうにか無事に完成させることが出来ました。
今では、先生との共著書を上梓できたことが誇りでもあり、非常に良かったと思っています。
そして、その著書を自分なりに進化させ、一般の読者の方にも、さらに解りやすく柔らかくして、一昨年夏に2冊目の著書を、地元の新聞社から上梓することができました。
そして、さらに解りやすく、もっと多くの読者の方に読んで頂けるような『眼と体のためのアンチエイジング法』という家庭医学書の上梓を、今年冬に予定しています。
さらに、一昨年の春には、先生のお誕生日に合わせて、鹿児島・指宿温泉の特別な旅亭にご招待させて頂きました。
日韓の主席会議も開催されたこの客室殿の最上階から、広大な松林越しに錦江湾や大隅半島を臨む雄大な景色と朝焼けの風景は、まさに圧巻で感動的でした。
そして、砂蒸し風呂を含む14種類の温泉の全てに2日間でご入浴され、夜は、薩摩の郷土料理と地酒に舌鼓を打たれ、楽しく懐かしい会話も弾みました。
翌日は、恐竜「イッシー」で有名な池田湖畔を巡り、九州最南端の駅で開聞岳を間近に望み、さらに、知覧の特攻平和記念館にも足を運んで、憂国の特攻戦士達の姿に共に涙しました。
さらに、鹿児島市内に戻り、西郷隆盛の最期となった城山の史跡を訪ね、錦江湾越しに桜島を臨む「磯庭園」での散策も楽しまれました。
しかし、これが、先生との最後のご旅行となってしまい、今は、非常に残念で寂しい気持ちでいっぱいです。
先生のご教示を胸に平素から、先生のご教示は、端的で深く、時に、厳しいものでしたが、常に真にためになる本当の事を教えて頂き、感謝致しております。
また、決して突き離さず、いつも親身になって熱心に教えて頂きました。
私の場合には、「あせらず、のぼせ上がらず、できる事を地道に、足元から一歩一歩を確実に!」との旨を繰り返し、よく教えて頂きました。
そして、これからも、先生のご遺志とご教示を忘れず、その医療の精神を守り、今後も、若倉院長先生、宮永院長先生、井上賢治理事長先生のご指導とご高配を頂きながら、報恩感謝の心で眼科医として、そして、開業医としての人生を、一歩一歩、心を込めて懸命に歩んでいきたいと思っています。
*写真の解説
■5名の写真『恩師・井上治郎先生を囲む会』にて
(平成14年3月15日)(左から井出先生、井上先生、村上、石井先生、藤田先生)
■2人の写真『第3回九州温泉地巡りの旅 鹿児島・磯庭園』にて
(平成19年3月)(井上先生、村上)